葛飾北斎(1760-1849)


【罌粟】

 室町時代に中国から渡来したケシが観賞用として盛んに栽培されたのは江戸時代になってからである。色も種類も豊富で花も大きく大いに持てはやされた。

 北斎の描いたケシは風にたなびきながら咲く空気が見て取れる。満開の花を中心につぼみから実になる過程をいとも自然に描き分けた構図もよく、しなった茎やザックリとした葉の線にも風の動きがあるなど、計算され尽くした作者の意図が感じられる快作である。

 北斎はこのサイズの花鳥画を10図描いている。いずれも工夫が凝らされて北斎らしい個性ある絵ばかりである。版元の西村永寿堂との息のあった作品としてその評価が高い。

 北斎の長い生涯をかけ描き続けたものに「北斎漫画」全15編がある。この世の森羅万象をあまつことなく描いたこの冊子は絵の百科事典といわれるほど多義にわたっていて発表された絵の原点となるすべてが描かれている。さらに云えば絵を志す人に供すべきものとした強い信念で描き残したものである。その北斎漫画は文化11年に初編が発行されてから最後の15編が発行された明治11年までの長い歳月を要した代表作であり北斎芸術のエッセンスを見ることができる。


【桔梗に蜻蛉】

 秋の七草に数えられる桔梗は、古くから観賞用・食用・薬用などに用いられるなど、身近な草花である。江戸時代には八重咲きの品種や白色、青色、赤色、まだらなものなど多数の品種が作られている。

 種々な色をした桔梗を細密に、風に翻弄されている蜻蛉の描写には北斎の鑑賞眼の鋭さを示している。落款が「前北斎為一筆」とあるところから70才代前半に描かれたといわれている。90才まで活躍した北斎であるから、まだ老境の作とは思えない溌剌とした筆致を見せている。

 浮世絵版画史上だけでなく、日本を代表する絵師と評価されている葛飾北斎は、宝暦10年(1760)9月23日に江戸の本所割下水に生まれ、嘉永2年(1849)4月18日90才の生涯を終えた。安永3年(1744)頃、北斎ははじめ彫師を目指し弟子入りしたのだが、早くも翌年に洒落本の文字彫りをしている。堅い桜の板に細い彫刻刀を動かす技をこれほど早く会得した才能には驚かされる。この経験が後に活かされて、彫師泣かせの厳しい線を描き北斎版画の迫力を発揮することになる。

 堀師を19歳で廃業し、絵師を志当時人気のあった役者絵師の勝川春章に入門した。勝川春好・春英をはじめ多くの絵師を生んだ「勝川派」の一員となった北斎は、翌年「勝川春朗」の名をもらい細版役者絵「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」を発表している。幼少のころからいくら好んで絵を描いていたとしても考えられないほど早熟で、その才能の豊かさは他の絵師の追随を許していない。その後、狩野派、土佐派、漢画、銅版画や西洋画法を次から次干支学び自分のものとして咀嚼していった。あらゆる技法の習得は肉筆をはじめ多彩な仕事に活かされ北斎の画法となっていく。


【芙蓉に雀】

 葛飾北斎が花鳥版画を描いたのは、75才頃と思われる。西村永寿堂からいくつかの北斎花鳥図シリーズが出されているが、本図はその中でも傑作のシリーズである大判10枚揃いの花鳥版画の中の一図である。ただ、花と鳥を描写するだけでなく、自然の中での風・空気・時間までを表現しようと試みている。静止した瞬間をとらえた図と風で動いている一瞬を描写した図の二種類がある。10図とも計算され尽くした構図は、北斎ならではの世界であり。描線の一本一本にも細かな精神が行き届いている。豊かな絵師としての感性は、何を描いても傑作となりうることを見事に示している。

 本図は、蕾や花弁の描線に、一気に描いた筆の勢いの良さを感じさせる。描きそえられた雀が、画面のバランスを上手に保っている。


【桧扇】

 桧扇は、6~9月に橙黄色の6弁花をもち、野原に生える花です。葉が扇状に展開することから桧扇といわれている。本図の花弁などをみると、北斎が対象物を非常に精密に描いていることがうかがえる。精密に描いているが、全体の画面構成はシンプルで夏のさわやかな空気が伝わってくる。


【朝顔に雨蛙】

 絵筆で描写しうるあらゆる題材を貪欲に描いて画業70年。自ら「画狂人」の号を用いた北斎は、花鳥画のシリーズも手がけている。

 このシリーズは、中判錦絵の作で、柳亭種彦著「邯鄲諸国物語・近江の巻前帙上」の広告に、「冨嶽三十六景、前北斎為一翁画、藍摺一枚物、諸国滝巡り、諸国名橋奇覧、各一枚に一景ツツ追々出版、花鳥色紙絵極彩色」とあるものである。「鷽に垂桜」「鶺鴒に藤」といった画題の中国趣味を濃厚に反映させた作風の花鳥版画である。また、大判錦絵の10枚揃いの花鳥版画が残っている。すなわち「けし」「白百合」「紫陽花に燕」「あやめにきりぎりす」「牡丹に蝶」「桔梗に蜻蛉」「芙蓉に雀」「菊に虻」「檜扇」と本図の「朝顔に雨蛙」である。

 西村永寿堂発行のこの花鳥画の制作期を推定すると、本図でも花弁や蔦などに見られる銅版画を思わせる極めて細い線での描写、奇をてらうような奇抜な構図などが見られない傾向から、有名な冨嶽三十六景より以前に描かれたものと考えられるので北斎4・50代作と思われる。冨嶽三十六景の構図は主観的、自我的なもので、抑揚のあるギザギザな線が他多用され強い絵師の個性が強く出た作品群であるが、それと比べてみれば、大判花鳥画は写生を基とした穏やかな作風が出ているといえる。

 紫に藍で陰影をつけた花と花弁の裏を見せた紫とに明暗をつけ、その花を中心に薄藍、霜降りの模様の藍の花。そしてピンクの蕾を配した花の配置は自然であり、その間を埋める緑の濃淡色彩処理が成功して、朝顔のさまざまの美しさを印象深いものとしたばかりでなく、繁る朝顔の立体感、量感を十分に表現しているといえる。